映画「鈍獣」はいじめっ子といじめられっ子の友情物語だった。
映画、「鈍獣」を見た。
なんでわざわざ、映画を強調するかと言うと映画以外の「鈍獣」が存在するからだ。
もともと、「鈍獣」は、生瀬勝久、池田成志、古田新太によるねずみの三銃士というユニットのために宮藤官九郎が脚本を提供した、演劇である。
ねずみの三銃士って何?とか、聞かないでほしい。詳しくないから。ただ、○獣って言うシリーズになっていて、三作ぐらいある。ストーリーは続いていないから、まぁコンセプトがシリーズなんだろう。
俺が初めて「鈍獣」を見たのは高校三年ぐらいの時だったと思う。WOWOWで上記のシリーズ三作を放映していて、あの時は若干演劇にはまっていたのもあって、単純に予断なく面白そうだな、と思って見た。
で、三作全部見たんだけど、三作全部腑に落ちなくて(これは演劇にはよくあること)、見た後の気持ち悪さと言うか、呆気なさと言うか、それぞれなんとなく印象に残った。それでも、そんなシリーズ中でもやっぱり「鈍獣」だけが異彩を放っていると言うか、話のまとまりが良いってのもそうだし、なんか言いようのないメッセージが伝わって来て、でも俺はそれを理解できないまま、ここまで来ました。
と言う今になって「鈍獣」の映画版がまたWOWOWで放映されると言うので、見ました。
結論から言うと、ライトでポップになった映画「鈍獣」は、いじめっ子といじめられっ子の友情物語だった。
少なくとも俺はそう思った。
と言ってもなんの事やらと言う感じであるから、ストーリーを説明しよう。
一応、下からネタバレが始まるのでネタバレが嫌な人は避けてほしい。余談だが、俺はネタバレされるのも、するのも、全く気にしない人だから、よく他人から怒られる。
舞台は田舎町の寂れたホストクラブ。そこに、女性編集者、静が謎の失踪を遂げた小説家凸川を探しにやってくる。そのホストクラブの店長江田、常連客の岡本、その他面々から、静が話を聞き出し、凸川の行方を探る。と言うのが、話の大筋である。